みんな今日も地獄を生きよう

妻、息子、猫3匹と暮らすブラック企業戦闘員の提供でお送りします

ルーツ

午前5時、起きる。私が。昨日は休みだったので夜の9時頃に寝たが、すこぶる調子が良い。毎日この時間に寝て、朝早くに作業をしたいものである。こうなるように転職活動を継続しなければならないとシャワーを浴びながら心に誓うのであった。

 


息子だが、深夜に何回かは起きてすぐに寝た。起きても母親の隣に入ってトントンすれば寝てくれるので良いのだが、だったら起きて泣かなくても良いのでは?とも思う。昨日は妻の隣でずっと寝ていた訳だし。

 


息子は何かに掴まって立てるようになり、そろそろ立ち歩きそうである。赤ちゃんは人類の歴史を辿っているとどこかで見たことがあるが、そんな気がしないでもない。人類が四足歩行から直立二足歩行をするようになり、脳みそが発達して言葉を喋るようになる。その人類の歴史を息子が追っていると考えると、息子の成長が楽しいとも思える。

 


そんな事を考えつつ、長時間労働で疲れているとトイレの中でぼーとする時間が生まれたりする。今日はトイレのドアノブを眺めていたのだが、ドアノブの歴史ってなんだろうとふと思ったりする。ドアって結構すごい発明だと思うのである。

 


ひろゆきが「服のボタンって凄い発明じゃね」と言っていたが、それに近いものがある。凄い発明といったらテレビや車、最近だとスマートフォンであったりインターネットなど思い浮かべるかもしれない。確かに凄いし、生活には欠かせないものばかりである。

 


だが、服のボタンであったりドアノブも生活の一部というか、割と人類の歴史の中で当たり前のように使ってきた。ドアノブの起源について調べてみると紀元前2000〜4000年前と言われている。要はよく分からないが文明ができたあたりからあったということである。長い歴史があるのである。

 


もちろん、タイムマシーンがない限りいつ、誰が発明したのか正確には分かることはないのであろう。こんな事が正確に分かったところでなんだと思はなくもないが、それでもこう言った好奇心を満たしてくれるには誰かが調べてくれないと困るとも思う。ここが大学における文学部の意義なのであろう。忙しい人に代わって調べてくれる人が必要だとも思う。タイムマシーンみたいなのが出来たらどうなるか分からないが。

 


ジョジョのチョコラータが「人間は『好奇心』が刺激されるほど精神のパワーがわいてくるものだ。人はどの生命よりも好奇心が強いから進化したのだッ!」などと言っていたが、その通りな気がする。息子も好奇心の塊でひたすらものを掴んで何かをするし、気になるものがあったら猛スピードで向かう。

 


こうした好奇心を忙しい生活の中だと忘れがちであり、どちらかというと今ある境遇や自分の感情にばかり目が行ってしまう。それが精神を病む原因だと分かっているのだが、なかなかやめられないものである。視野が自分の心ばかりにいって何かをなすのは文学くらいである。危険である。