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妻、息子、猫3匹と暮らすブラック企業戦闘員の提供でお送りします

息子を可愛がる父を見て思うこと

ブログを書いてそろそろ1ヶ月になろうとしていますが、色々なことがありました。長時間労働によって鬱に近い状態となり、そうかと思えば転職活動をするなど色々です。仕事でも良いことも悪いこともあり様々です。

 


今日は妻が仕事で帰宅は19時でした。その間に実家へ孫の顔を見せ、毎週恒例の私の父とのお風呂タイムを楽しんだ息子です。父も毎週のお風呂タイムを楽しみにしており、最近は息子が泣かないように入れるコツを掴んだと嬉々と話ていました。

 


今回は父にフォーカスします。母親の話をすると長くなるので今回は割愛です。

 


息子と触れ合う父の姿を見る度に、見たことない表情をするなあと感じます。あんな幸せな顔をした父を見たことがあるのかと言われると微妙です。酔っ払って気分が良くなった時くらいでしょうか。

 


父と子どもの時の私の思い出といったら虫捕りにいったことです。というか、それしか無いです。父は仕事とプライベート(飲み)を大事にする人で、運動会や授業参観はもちろん、子どもと外出するのも嫌がる人でした。母は免許を持っていなかったので父に頼むわけですが、それが気にいらなかったそうです(母から聞いた話ですが)。

 


虫捕りはかなり楽しかったと思います。オニヤンマを取れた時はとても楽しかった記憶があります。今でもオニヤンマを見ると興奮しますが、最近、ヤンマを見る機会がかなり減りました。十年は見ていないかもです。

 


今思えば、なんで山に連れていったのか分かります。父は生花が趣味だったのですが、その花を取りに行くついでに私と虫捕りをしたと思います。息子と遊ぶついでに花を取るのではなく、逆です。そういう人です、父は。

 


しかし同時に、父が息子を可愛がる姿を見ると、私も父に可愛がってもらったのかと思います。子どもなので覚えていないのですが、あの笑顔で私の世話をしてくれたのでしょう。

 


私が結婚し息子が生まれるまで両親にはお世話になりました。「全力で私を支えてくれたのだなあ」と息子を可愛がる姿を見て実感します。時間も金銭も惜しみなく支援してくれたと出す側になって初めて気づきます。なんなら若い頃は「出してもらって当然」くらいの意識でした。恥ずかしい限りです。

 


母は父の事を「子どもの面倒を見ない人だった」よく言いますが、確かにその面はあります。飲みに行って帰りが翌朝というのは恒例でした。遊園地や動物園といった所に連れていた記憶はないですし、そういうところに連れて行くような人ではなかったです。

 


しかし、人付き合いが好きな人で顔が広いです。そういう付き合いの方が好きですし、子どもに何か積極的に関与するということはしなかったのだろうと思います。あまり無駄なことは喋らない人でしたが、人付き合いは上手だったと思います。定年した今も町内会で大活躍です。無駄なことは言わないので、私のように息子に「産まれてきてありがとう」など言わないのでしょう。

 


若い頃は衝突することもありましたが、今思えば恥ずかしいし、悪いことをしたと思っています。今は毎週日曜日に息子の顔を見せ、無事生きていることを伝えて安心させ喜ばせたいという気持ちです。

 


実家へ息子を連れて行くと感謝されるのですが、感謝するのはこちらです。息子の面倒を見てくれるだけでなく、たまにお土産を貰ったりしますが、そのありがとうに混ぜて育ててくれたことへの感謝もしています。面と向かって伝えることは今はなかなかできないのですが、それでも今になると両親を見るたびに思います。

 


父親と過ごした記憶があまりないと言いましたが、しかし当たり前のように食事をし、当たり前のように会話し、当たり前のように生活をするというのが尊いことだったのだと思います。何を食べ、何を話し、何をしたのかが重要ではなく、共に時を過ごしたということ自体が貴重なことだったのだと今の生活をしていて思います。

 


息子の寝顔を見ると彼への愛おしい気持ちと同時に、両親への感謝の気持ちが湧き上がります。「こんな風に自分も育てられたのか」と思うと、両親から産まれて良かったとさえ思えます。何かあったら面倒を見たいと思いますし、近いうちに今までの感謝を伝えたいです。

 


今は父のように妻を専業主婦にし、夕方には飲み以外には帰り、経済的に不自由なく自分の趣味を追求するといったことはできません。おそらく、父の就いていた職業に自分は関わることはないでしょうし、父のようにはなれないし、ならないでしょう。しかし、父は父なりのやり方で私や兄を愛し、人生を歩んだと思うと感慨深いです。息子が大きくなり、一緒に酒を飲めるようになったら、私が自分の親に対してどういう考えを持ち、どのように変わっていったのかを伝えれるような関係を築きたいと密かに思っています。